病院生活

2003年2月28日 (金)

2003年1月25日〜2月28日

2003/2/28 楽しかったよ

 朝6時に明かりが点き、6時50分にお茶の入れ替え、7時から朝食。8時15分、昼夜のスタッフが交代する。拭いたり、掃いたり、叩いたり、清掃も入念だ。9時に検温があって、回診を待つ。3階から始まる日は早いし、2階からの日は昼前になることもある。回診の合間を縫ってリハビリ室へ呼ばれる。

 昼食は12時、3時に検温、そのあと2日に1回風呂がある。

 最初は体を機械で持ちあげられて風呂へ入っていた。ひょうたん型の泡風呂で、その大きさに驚いた。下半身を骨折して動けない患者専用機だ。歩けるようになってからは普通の風呂になる。3、4人は同時に入れる広さだが、慣例として年長者から1人ずつの順番だ。

 夕食は6時から、8時45分に見舞い客に帰るよう促すテープが流れ、看護士が最後のチェックを行う。9時に消灯して一日が終わる。

 毎日同じことの繰り返し。痛みと不安を抱えながら、患者達は自分のペースを作っていく。皆、なぜこんなことになったんだろうと考えている。そして、避けられない運命に思い至り、日々回復していく体の不思議を知る。

 最後の晩、看護士に「入院生活はどうでした?」と聞かれた。

 楽しかった。私は。

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2003/2/27 膝に水のたまる病気

 あちらこちらに退院の連絡をする。やはり入院期間が3ヶ月というのは長く感じられるようだ。師匠などは「まだ入院してたのか?それよりも・・・・・」と、「昔の話題」扱い。いずれにせよ、そろそろ潮時だった。

 荷物は宅配便で発送した。ダンボール箱3箱は大学へ、2箱は自宅へ。同室の者が、「どこに隠してたんだ?」と驚くほどの量だった。これで残りはパソコンだけ。ヘデグレンのディパック一つで帰れる。

 歩行訓練の進行で、足にむくみがきている。とくに、久しぶりに力が加わっている左膝には水がたまる可能性があるらしい。「膝に水のたまる病気」というのは、『ボートの3人男』の主役が唯一かからなかった病気のはず。退院できるとなると、足のむくみもうれしいことだ。

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2003/2/26 どうする?

 「あのーーー、そろそろ退院したいのですが?」
 「いいですよ」
 と、あっさり退院が決まる。あー言われればこう言おうといろいろ考えていたのだが、退院できる状況になっていたらしい。最初の治療計画通り、入院期間は3ヶ月だったのだ。

 3階病棟の退院予定者達は、皆、帰宅後の生活に不安をもらしていた。「外は寒いのかな」に始まって、風呂は大丈夫か、トイレは、それに仕事は、といった具合だ。その点、外出常習犯には退院後の心配はない。

 むしろ、山のような荷物をどうやって持って帰るかが問題だ。入院直後に持ち込んだ資料は、輪液注射針セットのダンボール箱に入れられている。大型のボストンバッグには図書、ロッカーには血のついたスーツ一式。頂き物の加湿器まである。

 どうする、どうする?



 

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2003/2/25 退院理由

 近くのホールで学部主催の学術講演会が開かれたため、同僚が相次いで見舞いに来てくれる。皆口々に、ひまな時期なのでゆっくりすればよいとアドバイスしてくれる。忙しいということを退院理由にしようと思っていたのだが、ひまな人間だということがばれてしまった。

 廊下を亀のようにゆっくり歩いたり、ベンチで何十分も雑談したり、新聞5誌を隅から隅まで読んだり、昼寝したり。忙しい人間にはとても見えんか。

 

 

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2003/2/24 退院ラッシュ

 左足に3分の1体重をかけて廊下を歩き始める。痛くはないが、筋肉が衰えているので力が入らない。スピードは大幅に落ちる。火事のときは片足で逃げた方が早そうだ。

 メカニック氏によると、自身を含めて週末に4名の退院があるらしい。症状はそれぞれ違っており、少し早いが「おまんまの食い上げ」を避けるための人もいるとのこと。なんとか退院仲間に入りたいものだ。



 

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2003/2/23 退院の自己決定

 地面に足をつけるようになった。膝の曲がり具合もいい。週に5日も外出している。親子関係は崩壊寸前だ(少しオーバーだが)。この4条件を考慮して、退院を申請することにする。

 もちろん、医師の診断を尊重するが、これがリスクを踏まえた上での決定だ。申請は、水曜日、副院長の回診時。さあ、せりふを固めよう。

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2003/2/22 フライ,ダディ,フライ

 金城一紀の『フライ,ダディ,フライ』を読んで、おんおん泣く。カーテン一枚で仕切られた病室で、少し格好悪いくらい泣いた。男の子の父として(女の子の父でもあるが)、大いに涙腺を刺激されたのだ。病床という雰囲気もあるけど。

 その勢いで家に戻る。外泊だ。上手に、でもハードに、親子関係を構築しようと、勇んで車をえんやらやしたのだが、どうも下の子に存在自体を忘れられているようだ。

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2003/2/21 誤解だ

 入院患者としてはあたりまえなのだが、久しぶりに終日病院内にいる。ちょうど病院を出たり入ったりしている間に、うちの学生が交通事故で運び込まれていたらしい。幸い軽症で、実家近くの病院へ移った。

 病院内には広大生の患者が何人かいる。中には食堂で夜遅くまで勉強をしている者もいて、「さすが国立大!」の声がかかっている。

 もしうちの学生が入院したら、感じの良い学生役をさせて、「さすが人間関係能力が高いと評判の近大生!」と噂されたいと思っていた。転院したとは残念、よいチャンスを逃した。

 その学生の見舞いで同僚が病院へきた。ついでに315病室を覗いてくれたらしいが、看護士は「夜の9時まで帰りません」と説明したようだ。アー-、きっと遊び歩いていると誤解したはずだ。

 また評判を落としたよ。

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2003/2/20 外食多し

 リハビリでは、ホットパック(温熱治療)15分、右足1㎏左足4kgの負荷訓練、そして、平行棒を使った3分の1加重歩行訓練が始まった。手術した膝は大丈夫だが、久しぶりに歩くと足首が痛い。

 リハビリ終了後、自宅へ外出。ネットを使って洋書を発注する。今日で3日連続、昼食も夕食も外で食べている。病院には、午前中の回診とリハビリ時にしかいない。ちょっと変だな。

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2003/2/19 簡単パニックだ

 科研費の消化作業のため登校。

 担当事務と打ち合わせた結果、入院で使用できなくなった国内旅費は、消耗品費に振り替えとなった。学部の研究費なら、使わなければ没収されるだけだが、税金となると手間がかかる。

 文献研究なので消耗品はないのだが、プリンタのトナーとか紙やらでいいいのかな。でも、図書費も余っているぞ。とにかく月末までに1円残らず使い道を考えなければならない。いったいどうしたらいいのだ!もう、パニックだ!!

 長期入院患者は、痛い治療は我慢できるが、社会的ストレスに弱い。

 結局、学内に店舗を構えるK書店に泣きつく事にした。早い話、期限内に洋書と文房具が到着すればいいのだ。他人に問題を渡すと、あっという間に悩みも消えた。我ながらレベルが低い。

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2003/2/18 学生的社会人

 午前中、登校して教科書の改訂作業。集めておいた資料を調べ、その足で自宅に戻る。ネットで最新データを確認。出版社にメールで原稿を送り、病院に戻ったのは消灯案内のテープが流れる8時45分だった。

 試験期間中の高校生や大学生の患者は外出しているのだが、帰院はもっと早い時間だ。社会人の患者の場合、中途半端に職場に戻ると、退院を迫られる危険性があるため、めったに外出しない。

 回診時に、火水木の外出と週末の外泊を申請した私は、やはり学生的社会人なのだ。

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2003/2/17 先生はやめて

 今日から左足に体重の3分の1の過重をすることになる。リハビリ室で体重計に左足を載せ、75日ぶりに体重をかけてみる。5分ほど繰り返したが、どうやら痛みはなさそう。さすが、いい腕だねえ。

 リハビリ室を出ると、ベンチに座っていた入院患者のメカニック氏が「どうでした先生?」と聞いてきた。この人、教員だというのを知ってからいつも「先生」と呼びかけてくる。病院内で先生と呼ばれるのは医師と理学療法士だけなので、先生はやめてくださいと頼んだが、意に介さない。そのうちこちらも慣れてきてしまった。

 「無理せずにゆっくり進めることです」というのが、誰とでも上手に付き合えて院内一の情報通でもあるメカニック氏の診断だ。

 「日にち薬ですよ、先生」。
 
 

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2003/2/16 職務の整理のため

 今春、教科書を改訂することになった。ある大学(近大ではない)の通信教育部が大量に購入してくれたためで、結構なことだ。ただ、担当部分が「環境」「犯罪」なので、21世紀の内容に修正しなければならない。でも、病室で改訂作業は無理だ。

 よし、「職務の整理のため」という名目で外出しよう。「職務のため」でも「整理のため」でもないところがみそで、この良く分からない理由のおかげで、休職中なのに職場に出入りでき、入院患者なのに自宅でごろごろできるのだ。

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2003/2/15 カウントダウン

 手術部位の骨のつき具合をみるため、レントゲン撮影をする。なじみになった島津製機器の下で足を左右に動かしてみる。集中講義で立ちづめだったせいか、楽に曲がるようになっていた。たまにはハードに暮らすのも良いようだ。

 骨がついていれば、左足を地面につく許可が下りる。いよいよ退院までの日数が読めるのだ。

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2003/2/14 ファックスを求めて

 短大に成績を送るためローソンまで無断外出。確かファックスがあったはずだ。あれ、ここにはないの?

 ローソンの看板の下で途方にくれる。反対側の道を西条警察署へ社会見学に行く小学生が進んでいる。おっ、ひとりだけコートを着ていないのは、うちの子じゃないですか。

 そこで、お父さんもがんばろうと、松葉杖で横断歩道を渡り、行きつけの自転車屋さんへ飛び込む。

 「すいません、ファックス貸して下さい!」

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2003/2/13 今期授業終了

 集中講義、2日目。今日も7時半、タクシーで出発。

 さすがに4コマ連続では学生も教師も疲れ気味だ。ただ、終了30分前に試験問題を配布するために事務の人が入ってくるので、この時間帯はがんばらざるを得ない。一調子声を張り上げて、べらべら喋りまくったことよ。

 昼食は、初日はAO入試室、今日は学長室だった。広島文化短大の経営母体広島文化学園は、実質的に倒産した立志館大学の学生を受け入れたことで名を挙げた。事故で迷惑をかけた非常勤講師に学長室を開放するとは、さすがに太っ腹だ。汚さないように気を使ったけど。

 16時半、無事授業終了。最後に感想を書かせた。全体としては好評だった。

 「無理をして来て下さってありがとうございました。感動しました。お大事に」なんていい学生なんだろう!

 「短大生活の最後を飾るにふさわしい、すばらしい授業でした」わざわざひいきするまでもなく、試験もよくできていたよ。

 「全体としてジョークがすべり気味だった」と書いていたガキ、落としてやろうかと悩んだよ。



 

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2003/2/12 文化短大初日

 広島文化短大で集中講義、初日。学生は卒業目前の2年生、ほとんどの者にとって短大最後の授業になる。「日本国憲法」は教員免許に必要であるため、休むわけにも行かない。骨折教師にも土壇場学生にも、重要な2日間となる。

 予定ではイスに座って授業するつもりだったが、やはり気分が乗らない。腰を痛めた師匠にイスでの講義を勧めたときがあったが、「長老教授みたいでいやだ」と断られたことがある。弟子としては、この年齢で座るわけには行かない。

 同情の目もあってか、講義は楽に進む。私語もほとんどない。近大通信教育部のスクーリングのようだ。こんなにいい学生だったかなと思えるほどだ。
 
 2クラス150人が一つの教室にいるため、徐々に人いきれで床が湿気てくる。松葉杖がつるつるすべるので、片足で黒板の前を飛び回る。午後になって調子が出てきたみたい。

 「お大事に」の声に見送られてタクシーに乗った。

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2003/2/11 試験問題発送

 非常勤先の集中講義の準備終了。8コマ分のノートをパソコンに入れる。体力を温存しつつ学生の緊張感を維持するために、毎時間試験をすることにした。問題を8問、添付で送付。

 毎日何かの締め切りが来る。休職中の入院患者がなぜこんなことに、と思う。でも、全ては問題を先送りしてきたバチなのだ。痛い、痛い。

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2003/2/10 科研費地獄

 論文の第2校を発送。事故前に提出していた『近大法学』の原稿で、師匠の退職惜別号に載せる。これで本年度の研究活動も終了だ。やれやれ。

 「研究終了」で、ふと、科研費補助金を使い切っていなかったことを思い出す。事務に念押しされていたのに、ころっと忘れていた。

 税金なので融通が利かず、預金利子の1円まで帳尻を合わせなければならない。最後には鉛筆1本を買ったりすると聞く。
 
 入院中の身で、どういう風に研究費を使えばいいんだろう。最新の松葉杖でも買うか。いやいや、それでは会計検査院が黙ってはおるまい(そんな大層な)。




 

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2003/2/9 採点終了

 レポートの採点終了。家族に大学まで送ってもらい、報告書を提出する。本務校での任務はこれで終わり。

 教職員の多くは、入試の為に西日本中に散らばっている。学内は静かだ。

 キャンパスを家族と歩く。体力の有り余っている上の子は、あっという間に研究棟まで走っていってしまう。その後ろから、松葉杖のかわりの傘を2本持って、下の子が追いかけていく。片足では、どちらにも追いつけない。

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2003/2/8 こいつには勝てん

 同室の若い衆が退院した。一度つきかけていた骨が、「若気の至り」で外れてしまい、長期入院になったらしい。
 
 友人や彼女や敵から呼び出されて、ちょくちょく無断外出する。今の若者らしく、悪ぶって生きている風を装っている。でも、一緒に暮らすと感じのよさは隠し切れない。

 弊社の顧客対象年齢なのだが、すでに進路は決まっている。残念だ。


 

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2003/2/7 願います

 食事の10分前になると、お茶を入れ替えに来てくれる。ツートップは、愛想良く係の人と話をしている。

 ポットを差し出し、『刑務所の中』の真似をして、「願います」と小声で言ってみる。芸が細かすぎて、誰にも理解されない。

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2003/2/6 そら寝れんわな

 今回のレポート、けっこうおもしろい。とくに、「アニメに観る性差研究」は、学生の方も力が入っている。来年度も続けたい。

 1時半から3時前まで、入院病棟はお昼寝タイムだ。老いも若きも、重傷患者も退院前も、グーグー寝ている。そして、皆、夜寝られない。

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2003/2/5 第3の部屋

 研究室はダンボール箱で足の踏み場がなく、自室の唯一の空間には自転車が置いてある。そして今日から、315病室の窓際のベッドの上は、レポートに占領された。

 もう一つ部屋がほしい。

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2003/2/4  レポート締め切り

 後期試験終了日をレポート締め切りにしていたが、卒業予定者の成績報告書提出と重なっていた。登校せざるをえない。

 事務部の応接室を借り、レポート採点作業を行う。

 パソコンがフリーズしたの、フロッピーが開かないの、プリンターが故障したの、家に忘れたの、メールで送ってしまったの、いろいろな言い訳も飛び込む。2000通以上のレポートから4年生分を抜き出し採点、なんとか成績報告書を提出した。

 残部は宅配便で病院へ送る。下級生分の締め切りは2月8日、事務部幹部の計算によると、週末まで徹夜すれば間に合うらしい。

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2003/2/3 節分

 昼食はちらし寿司と鰯、夕食には豆がついていた。鬼の面はなかった。

 

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2003/2/2 自動販売機の牛乳

 各階に飲料の自動販売機がある。差し入れがないときなどはコーヒーを買ったりしていたが、やはりここは骨のため牛乳にすべきだろう。

 ところが牛乳は2階の食堂でしか売っていない。2階廊下を散歩コースに入れよう。前の病室を覗くと、知らない患者で満員。車椅子で苦労したトイレも松葉杖なら簡単だ。

 自動販売機の前で牛乳を飲みながら読売新聞などを読むと、人生を感じてしまう。ヒマだということだ。

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2003/2/1 まだつかない骨

 陥没骨折部分、まだついていない。だいぶ膝が曲がるようになっていたので、もう退院してもよいのではと考えていたが、左足を地面につけるのは2週間後、退院は1月先さきという診断だ。

 膝の骨折場所としては最悪だということで、入院3ヶ月は予定通り。でも、少しがっかりする。

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2003/1/31  ツートップ  

 同室の2人は、世間でよく見かけるような若い衆、10代と20代。今まで大人部屋だったので、こういう若い連中と日々暮らすのは気が進まなかった。

 ところがこの2人、笑顔がよくて、とても感じがいい。人間として負けているところが多々あると感じ、偏見を持っていたことを心から反省した。同世代の学生を見る目も変わったような気がする。本当に、よい勉強になった。

 でも、こう毎日のように目からうろこが落ちたり、心から感心したりしていると、体が持たん。

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2003/1/30 芸の細かい1歳児

 車椅子時代、下の子を膝に乗せて廊下を進むと、皆が振り返った。シャーレで固定された痛々しい足とかわいい1歳児の対照の妙がある。

 今、下の子は置き傘を2本持って見舞いに来る。それが松葉杖代わりだとは、誰も気づかない。

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2003/1/29 半入院

 「1月になれば外出できる」という医師の言質を取ったおかげで、ちょくちょく自宅に戻っている。タクシーの運転手さんとも顔なじみになって、「車椅子は終わったの?」などと声がかかる。半分退院したような気分だ。

 それだけに、「じゃあ、帰るね」と家を出るとき、不思議な気がする。

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2003/1/28 納豆食い

 ひとりさびしくベッドの上で食事をしていたのだが、松葉杖になったため食堂へ入ることになる。席は指定で、男女別になっている。外科の患者は元気なので、部屋の雰囲気は寄宿舎っぽい。

 朝食時、あいさつ代わりに納豆を2つもらった。

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2003/1/27 松葉杖ダコ

 両松葉杖、右足だけで廊下を行ったり来たりする日々。手に松葉杖ダコができた。

 同室の人、退院が近いので体力強化のために散歩に出ている。病院から三ッ城公園まで1時間以上かけて往復している(ローカルな話だが)。健常者でもハードなコースだ。真似しよう。

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2003/1/26 先達2

 隣のベッドの人は膝手術の先輩だ。だれ気味の者が多い長期入院患者の中では、異色の行動派だ。リハビリの後、自主トレで廊下をゆっくり歩いている。

 「膝中心主義者」として見習うべきところが多い。まずは、治療への取組み姿勢から真似しよう。

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2003/1/25 ウォークラリー

 上の子の通う小学校は、漫画並にイベントが多い。

 今日はウォークラリーの日だが、車椅子での参加は難しそうなので、自宅の窓から見学。酒蔵通りを1周して小学校に戻り、皆で書初めを燃やすという趣向になっている。

 10メートルほどもあるとんどに火がつくと一気に燃え上がり、ものすごい黒煙が吹き上げた。漫画並に派手だった。

2003年1月24日 (金)

2003年1月12日~1月24日

2003/1/24 来期時間割発表

 来年度前期は、近大7コマ、非常勤2コマの予定だった。

 コマ数は今年度のままだが、広島市内へ出かける非常勤が減って体力的には楽なはず。

 そこへ教務委員から2コマ増の依頼が入る。1コマ増は全教員だが、もう1コマは受講生の多い科目を分割するとのこと。

 なんと、3コマが週2日、朝一からの講義が4日ある。机の間をウロウロ歩いてリハビリ代わりにしよう。 

2002/1/23 クラス替え

 昼食後、突然、3階の病室へ移る話が出る。同室の人と別れを惜しむ間もなく、ストレッチャーに荷物を積んで引越しする。

 窓は南向き、日当たり良好。リハビリ室が近いし、広い廊下には元気そうな患者が自分のペースで歩き回っている。これは、ひょっとすると退院ちかしの合図か。

 「やっと3階に来れました」と皆にあいさつすると、「ここは長期入院者用ですよ」との返事。

 そうえいば、愛用の車椅子も取り上げられてしまっている。頼りない松葉杖だけでは、移動の自由を奪われたも同然だ。

 これからどうなるのだろう。

2003/1/22 新車がきたよ  

 新車、ルイガノCCTがわが家に搬入された。長い間箱詰めのままショップに預かってもらっていたのだが、やっとご対面。

 安い自転車だけれど、機能美がある。退院後のリハビリに備えて、室内で乗れるローラー台も注文する。

 カナダブランドだが台湾製なので、「三蔵法師号」とか、「きんと雲号」にするか。すっ飛んでは、まずいか。

2003/1/21 後期授業終了

 再開した途端の後期授業終了で申し訳ない。と、学生向きには声を出して謝る。

 診断書付き休職中の者が、病院から仕事に出かけてもいいんかい!と、職場に対してはふんぞり返る(心の中で)。

 日本国憲法と入院生活について、真剣に話をする。派手な手術跡まで見せる大盤振る舞い。

2002/1/20 講義再開

 2ヶ月ぶりの講義に備えて、ブレザー、ネクタイ、ズボン、靴を揃える。すべて事故当日の血痕つき。

 マイクをつけてしゃべると、声が上ずっているのが分かる。ついつい、くだらないことを言いたくなるが、本調子ではないので自重。

 しかし、校舎のこんなところに車椅子で入れる身障者トイレがあったとは。何も見えていないということが、またまた、見えたのであった。

2003/1/19 皿屋敷の骨折

 昼間からボー―と、NHK教育テレビを見る。

 三代目桂春団治、「皿屋敷」。

  幽霊のお菊さんが井戸から出てきて恨めしげに皿の数を数える。見物の若衆、7枚目の声で逃げだすが、あわてたために折り重なって倒れてしまう。

「このどあほ!人がこけてるところに上から乗りかかる奴があるか。足の骨が折れるかと思った」

 と、左膝を押さえる春団治。
 
 折れなくてよかったねえ。

2003/1/18 車椅子事故

 夕方、NHKニュースをボー―と見る。東大阪で車椅子の女性が亡くなっていた。

 二ヶ月前なら反応しなかったかもしれない。でも、今は「車椅子」という言葉に敏感だ。

 近鉄大阪線、長瀬駅南踏切り?おいおい、近大前のあの踏切りか?あの細い、人通りの少ないあそこか?反対側の踏切なら元気な近大生が百人はいたはずだ。交番もある。駅員にも見える。

 38歳の女性が病院からの帰り、線路部分が狭くなった踏み切りに入る。車椅子が脱輪した。反動をつけなければ2センチの段差でも上がらない。まわりに誰もいない。

 警報機が鳴る。遮断機が降りる。誰も来ない。動けない。上本町行きの近鉄特急が目の前に迫る。
 
 終わり。

2003/1/17 震災の思い出

 8年前、大阪南部にあったわが家の物質的損害は、不安定な本箱から落ちて割れた60W球だけだった。

 でも、精神的ダメージは大きかった。数年がかりの第1論文を「近大法学」に載せる話が飛んだ。

 その日、大学院研究科長の林良平先生が法学部編集委員会委員長に会う予定だった。案件のひとつは、私の論文の掲載。10時30分から開かれる教授会は、法学部長である師匠が主催する。そこでの決定を受けて、半年間保留状態が続いていた原稿が委員会の査読に回る、はずだった。

 その朝、神戸市灘区にあった林邸は全壊、西宮の師匠の寄宿先、芦屋の編集委員会委員長宅も被害を受けた。教職員、学生の安否が案じられる中、1本の論文の行方などは、ごくごく個人的な問題であった。

 病棟の窓から眺めていると、ちょうど小学生達が消防署見学に出発するところ。

 あの朝、激しい揺れに泣いた上の子が、元気に坂を下っていく。

2003/1/16 入院患者間情報秘匿特権

 入院して分かったのは、患者間で流れている情報の早さ、正確さだ。そこで、世界に先駆け、入院患者は他の患者に関する証言を拒否する特権があると主張したい。

 世間から隔絶していると、自信喪失感と誇大妄想癖が交互に現れる。順調だ。

2003/1/15 リスクがあるのよ

 新しい入院患者、1人はスポーツ中の事故、もう1人は一つ間違えば命にかかわる機械事故、2人の様子をそれとなく伺う。

 この病院が気に入った最大の理由は、地方都市には珍しくインフォームドコンセントが実質的に機能していることだ。

 早期退院にはリスクがあるということが、カーテン越しによく分かった。

2003/1/14 入院の事情

 入退院が相次ぐ。病室でも2人が入れ替わる。

 見舞い客が相次いで来ており、一安心。我々ベテラン患者はともかく、入院の立ち上がりにはやはり見舞いが必要だ。予想しない事故で突然社会と切り離された怪我人にとって、見舞い客は心強い。

 同室の者にとっても、なぜ入院したかを「聞くともなしに」聞けるメリットがある。

 そこへ同僚が見舞いに来たので、新入りさんにも聞こえるように、事故の経緯を詳細に解説したことよ。

2003/1/12~1/13 外泊

 成人の日を記念して外泊。ドサクサ紛れに2泊申請したのだが、原則1泊で却下される。

 病院では間食なしで減量に成功したのだが、家ではダメだ。1キロは増えたかもしれない。

 ショップに預けっぱなしになっている新車(自転車)受け入れの準備開始。乗れるのはいつの日か?

2003年1月10日 (金)

2003年1月4日~2003年1月10日

2003/1/10 マイ松葉杖

 専用の松葉杖を病室に置けるようになった。軽い自主トレーニングも許可された。

 廊下をトントンと歩いてみる。

2003/1/9 島津

 術後の経過を見るためレントゲンを撮る。

 おっ、レントゲン機器は島津製作所製だ。部屋の奥にも古い機材があり、それも島津製。ただしロゴが違う。昔の東芝のような字体だ。

 ノーベル賞の田中さんとは同い年。皇太子も、曽我ひとみさんも。それぞれの43年だ。

2003/1/8 単位の行方

「先生の容態を心配する学生が押しかけて対応に苦慮しております」という工学部事務からのメールを受け、後期試験前に出勤することを決める。

「自分の単位の行方が心配な学生」も好きだけど。

2003/1/7 松葉杖

 平行棒を使った練習を終え、ついに松葉杖の歩行訓練が始まる。

 まずは、リハビリ室からエレベーターロビーまでゆっくり歩く。後ろから車椅子でついてくれているので安心だが、力の入れ方、松葉杖のまわし方など、中々難しい。

 車椅子といい、松葉杖といい、自分は何も知らなかったし、何も見ていなかったんだと思い知る。

 松葉杖の材質は松ではない、ということにも気づいた。松では折れるわな。

2003/1/6 膝中の終焉

 本務校よりも1月遅くスタートした非常勤先の講義、休講続きで当然時間数が足りない。協議の結果、2月半ばに2日で8コマの集中講義を行うことになる。

 自分の左膝のことだけを考える「膝中心主義(略して、膝中)」も、あとわずかで終わりだ。

2003/1/5 左膝80度

 左膝、80度まで曲がるようになった。「この段階としてはいい方だ」とおだてられて、喜んだ。

 目標は180度、正座状態。事故前に1分持たなかった正座にチャレンジだ。

2002/1/4 バリア・フリー

 借家だからあまり自慢しても卑下しても意味ないが、バブル期、町内のランドマークタワーと呼ばれた自宅マンション、ちょっと車椅子では苦しい。その衝撃は、我が家の将来設計に重大な変更をきたしたほどだ(大層な)。

 法律に基づいて設計された最新の病院は機能的だ。少々水が漏れても、身障者用トイレは、やはりいい。

2002年12月31日 (火)

2002年12月19日〜2003年1月3日

2002/12/31~2003/1/3 目標

 自宅で過ごす。どこにも行かない。なにもしない。なにも考えない。こんなにのんびりした正月は初めてだ。

 助教授昇格、科研費ゲットと順風満帆だった2002年も、最後に事故、骨折、入院と「みそ」をつけた。

 と思うのは大間違い。そのごほうびのような気楽な日を過ごせて、心から喜んでいるところだ。

 なんと言っても入院中に、目標だった体重3キロ減に成功したことがうれしい。ここまで減量できたのは上の子の出産期以来、9年ぶりだ。でも、リハビリの先生によれば、単に筋肉が落ちただけで脂肪はそのままだとのこと。 

 そこで2003年の目標は「心身のリハビリ」、本格稼動は、順調に行けば2004年からの予定です。

2002/12/30 入院病棟の年末気分

 年末特例の外泊をする患者が増えてきた。

 家族持ちは、正月三が日の予定が多い。でも、若い患者は、30、31日、1日の3日コースだ。

 情報を分析すると(ひまじゃなあ)、若者は年末を仲間と会うために使い、正月だけは家族用のようだ(たいした分析じゃないが)。

 東広島という地方都市では、東京や関西に就職した者も多いはずだ。広大生や近大生が帰省したあとに、酒都・西条に若者が戻ってくることになる。若い患者も久しぶりに町に戻る。

 外泊不許可の患者には、お正月、巻き寿司が出るという噂が流れた。

2002/12/29 年賀状

 来年の年賀状の宛先は、すべて病室での手書きだ。

 ここ何年かは印刷文字で失礼していたが、ひまな長期入院患者としては「厄払い」を兼ねて、下手な字で書かせていただくことにした。

 新年早々、ケガとか骨折とか入院とか、縁起でもないか?

 そのかわり、皆様のご多幸を祈って、我が家のかわいい子供達の写真が送られます(予算の都合で枚数限定)。2パターンあります。どちらがくるかは、見てのお楽しみ。

2002/12/28 師匠来訪

 誰が見舞いに来られたかなど、ここで出すのはルール違反だろう。ただ、師匠が見舞いに来られたことだけは記録として残しておこう。「わざわざ私のところへ来られたのだよ」ということを学内外に示す自慢心で(すこし、せこい)。

 年末休診日なので、誰もいない1階ロビーでお出迎え。自分の持ち物ではないが、まずは、町一番の整形外科病院を自慢。

 見舞いの品は、特定の関係性においてだけ受ける話、1時間分。師匠の持つ幅広で奥の深い引き出しから、「土屋用」にアレンジされた話題が飛んでくる。

 ほとんどの話が墓場まで持っていかねばならない秘密であるところが「口のかたい弟子」の辛いところ。

2002/12/27 先達

 新入り氏が病院になれた人で、さっそく、入院患者の関心事、「正月外泊申請の仕方」を伝授してくれた。とにかく医師に積極的に言わなければ、ダメ。朝の回診時にわれもわれもと申請した。

 その日は病棟中、外泊話で持ちきり。元気そうな若い人が1泊しか認められなかったり、3泊申請が1泊に減らされたり。

 幸い、一見まじめそうな態度と、無理をしたくてもできない左足のおかげで、3泊認めてもらった。

 しかし、一日外泊のことしか考えないというのも、入院患者らしい、浮世離れしたことよ。

2002/12/26 正面衝突

 しばらく3人部屋だったところへ、正面衝突事故被害者が入院。全損事故だったが、骨折はなし。

 横滑りしながら飛んでくる対向車、エアーバッグが開いたあとの火薬臭、はさまれて動けない加害者の救出劇など、話題の尽きた病室に新鮮な情報を提供してくれた。

2002/12/25 25年

 病室でゴロゴロと高校駅伝を見る。

 そうえいば、20数年前受験勉強と称して家でゴロゴロしていとき、陸上部の連中は駅伝の予選を戦っていた。2位だったけど。

 そのときの陸上部員が監督をしているチーム、今は代表として京都を走り抜けている。

 確実に自分たちの力を引き出してくれる教師というのは、信頼を得るだろうね。自分が達成できなかった夢を次世代に伝えるのは、気持ちよかろう。そして、足を骨折したおっちゃんは、高校生の走る姿に感動し、勇気づけられた。

 レース結果を見て、この偶然の一致を家族に報告しようと1階ロビーに下りる。ちょうど業者がワックスがけをしていた。ロビーの椅子やテーブルが積み上げられ、ワックス機材が運び込まれている。

 中でもきびきびと動いている一人は、もちろん、うちの学生だ。

 業者のユニフォームを着た学生と車椅子の教員、目を合わせて、にやっと笑ったよ。

2002/12/23 (学生の)冬期休暇

 各大学ともに学生の冬期休暇に入った。ほっとした。

 事故の被害による入院で、正式に休暇届も出しているわけだが、やはりゴロゴロしている自分に納得できできないものをかんじる。

 大人というか、まじめというか、社会人というか。誰に説明する必要もないが、この状態の正当性というか正統性というか、そういうものを気取って考えてしまう。
 
 とにかく、日本中の教員がベッドの上で気楽に過ごしてもいい季節の始まりだ(誰もしてないか)。

2002/12/22 外科病棟の必需品

 外科病棟で皆と仲良くするために絶対必要なもの2つ。ゲームと煙草だ。

 ゲーム、10代から20代、ゲームは共通言語だ。特にサッカーゲームが人気で、あちこちで対戦が繰り広げられている。中学生とサラリーマンが同一平面で会話できるなんて、感心したよ(冗談じゃなく)。そして、ゲームをきっかけに人間関係が構築されていく。皆、兄弟のように仲がいい。

 ゲームには可能性があるね。

 煙草、ちょうど、学部では校舎内の喫煙問題が指摘され始めていた。元喫煙者の立場から言えば、喫煙者は弾圧に慣れているから、喫煙場所を野外に固定しても大丈夫。嫌煙派の利益を図るほうが、広報的にもいい。

 ところが、外科病棟ではねえ、「悪者」の煙草が役に立つのだよ。喫煙場所は3ヶ所あり、ぐるっとまわれば色々な人に合える。

 老若男女、世代を越えていろいろな話が飛び交っている。自分の親とまともに話をしたことがないようなヤンキーの兄ちゃんが、老人とニコニコと語り合っている。いいねえ。

 ゲームと煙草、身体に悪い2つがあれば、楽しい入院生活だ。

 両方やらない私は、読書の人となる。
 

2002/12/21 寡黙な患者

 入院当初、顔と口にダメージを受けていたのを幸い、病院内コミュニティーに積極的にはかかわらなかった。傷だらけの顔面に、腫れあがった口。これで他人と会話するのは難しい。

 すでに病院内では、物静かな「にーちゃん」(!)というイメージが確立している。
 
 おかげで、誰にも邪魔されない、読書とパソコンの日々が始まった。何年も待ち望んでいた時間が、意外な形でやってきたわけだ。

 あーー、ありがたや、ありがたや。

2002/12/20 ヒールマン・スピン

 車椅子の操縦にも磨きがかかってきた。

 ひまな時には(大概ひまだが)、車椅子に乗って病院内を散歩する。外来ロビーで新聞5誌に目を通したり、電話したり、世間を眺めたりする。

 最近の流行は、人気のない食堂へ行って、車椅子で8の字ターンの練習をすることだ。右回り、左回り、スピードをつけって、ゆっくりと。ちょうど昔のフィギュアスケート競技の「規定演技」のように、ラインどおりにまわるのだ。

 最終的には、ギブスで固定されている左足を垂直に持ち上げて、その場でくるくると回転したいのだが、これが4回転ジャンプより難しい。特訓の結果、やっと、重いギブスを片手で支えることに成功した。

 よし、まだ完全ではないが、ぶっつけ本番、勝負だ。
 
 会場は、東広島市の目抜き通り「ブールバール」、観客は3人、歯科技工士2名とタクシーの運転手だ。

 扱いなれない車椅子に3人ともウロウロしている。

 ここだ!

 タクシーのドアにぶつかりそうになる寸前、左足を直立させて、車椅子をくるっと回転して見せた。
 

2002/12/19 限りなき戦い

 精密検査、耳鼻科編。

 朝から整形外科病院のCT検査を受ける。検査器は東芝製。眼科医の予測通り、左目下に微妙な影を発見した整形外科医は、近くの総合病院の耳鼻科に患者を送り込んだ。
 
 患者を待ち受けていたのは、耳鼻科医と、そしてケロヨンだ。それも4体。眼科医のところにいたのと同じ顔だ。ひょっとすると同じカエルかもしれない。敵の組織は強大だ、油断できない。

 「骨折線です。でも、手術は不要」耳鼻科医はCT画像をみて結論を下す。

 「しかし、これではこの症状の説明がつかない。もうひとつの可能性は、少し下の頬骨だが、別角度のCTが必要です」

 「撮ってください、撮ってください」。とにかくケロヨンから距離をおこう。

 このCTは苦しかった。うつ伏せで寝るのだが、左膝を浮かさなければならないので、派手な筋肉トレーニングのようになる。検査機器は、こちらも東芝製。ただし型番が異なる。

 「ここにも骨折線が見えます。目の下の脂肪が少し染み出していますが、手術は不要です。症状は時間ともに解消します。1ヶ月以内です」

 ケロヨンに囲まれた耳鼻科医の最終結論だった。

 事故後、外傷以外にある症状が出ていたのだが、問題はないという説明に納得できなかった。しつこいアピールを受けた5つの病院の複数のスタッフによる総合的診断の結果、私の症状は「空想」のものではなく、その原因、頬骨下部(?)骨折が確認されたことになる。

 ただし、それは「日にち薬」で、時間とともに治癒する程度だった。 
 
 それでも、患者がケロヨンに代表される医学業界と対等の関係を作る努力は必要だ。

 これは、私の身体なのだ!

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2002年12月18日 (水)

2002年11月28日~2002年12月18日

2002/12/18 ケロヨンの目

 精密検査、次は眼科だ。

 とにかく視力自慢の私は、左右視力2.0をキープしたい。

 たとえそれが、大教室の一番後ろで学生が読んでいる車雑誌の名を当てることにしか役立たないでもだ。

 家族や加害者の付き添いを断って、一人タクシーに乗って眼科医院へ向かう。

 ご近所一番人気、上の子も通っている眼科は、いつも混雑していることで有名。しかし、東広島の病院シンジケートが機能して、とんとんと検査、診察が進む。

 左右の目にゲージを当てて、目玉の角度を測っている。検査機本体はローゼンストック社製。レンズ部分はベルンのハガ社だ。

「それでは正面を見て、上を向いて、下を向いて、右、左。うー―ン」
 そこでうなられてもねえ、先生。

「うーーん」腕を組んで、まだうなっている。

「それでは、このカエルの目を追ってください」と、取り出したのは、緑色の小さな指人形。そのカエル、上の子の診察時も見かけたが、てっきり子供用だと思っていた。まさか大人にも使うとは。

 同じ年恰好の眼科医と患者が、ケロヨンの指人形をはさんで見つめあっている。なぜまわりのスタッフは噴き出さないんだ?こっちは、笑いをこらえるために、力一杯膝をつねったぜ。

 もっとも、さすがに近郷近在ナンバーワン、腕はぴか一。

 ケロヨン検査の結果下された診断は、翌日、整形外科のCTで確認され、三蔵法師一行は、ありがたいお経を求めて、耳鼻科へと向かうのであった。

2002/12/17 脳神経外科の磁気

 精密検査のため脳神経外科病院へ出かける。外は寒いねえ。冬なんだねえ。

 車椅子のままワゴン・タクシーに乗せられる。これは便利だ、うちにも1台ほしい。
 
 ひろしま生協へ買い物に行くときに通る道、旧国道2号線を西へ進む。雨が落ちている。西条の街も暗い。

 へえー―、こんなところに脳神経外科があるのか。建物も新しい、デザインも斬新。

 症状を伝え、MRI検査を受けることになる。

 医師「MRIについてご存知ですか?」
 患者「名前は聞いたことがあります」

 実際は、今の今、ロビーで宣伝パネルを見たばかり。検査器はGEメディカル製だ(つまりエジソンか)。

 医師「工学部の先生ですよね?」
 患者「文系です」(きっぱり)
 医師、呆然。

 パンフ「文系でもわかるMRI」を使って説明を受ける。

 「削岩機のような大きな音がしますが、怖くも、痛くもないですよ」といわれる。削岩機!説明を受けてかえって怖くなる。

 さあはじまるぞ。上を向いて寝る、全身が軽く固定される。目の上にマスク。左膝のチタンボルトが熱くなった場合押すようにと、ブザーを握らされる。検査機の中に移動する。

「シャカリッキ、シャッカリッキ、シャッカリッキ」耳元で、バルタン星人がささやいている。

「はじめます、まず30秒です」技師の声もロボット調だ。

 検査音が聞こえる。だんだん音は大きくなる。

 どんガン、どんガン、どんガン、どんガン!
 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガア!
 どんガン、どんガン、どんガン、どんガン!

「終わりました、楽にしてください」ロボットが言う。

 ひー―、なんじゃコリャ。閉所恐怖症なら耐えられんな。

「はじめます、5分です」
 5分!

 どんガン、どんガン、どんガン、どんガン、どんガン!

 うん?よく聴けば、なじみの8ビートだ。でも4小節じゃない、5小節だ。気持ち悪いぜ。音は安物のリズムボックス風。

 MRIの検査音を患者の趣味に合わせて変えられんか?演歌調、アニメテーマ風、童謡、ロック、ブルース、ワルツ。少しは楽になるだろう。眠くなるのが欠点か?

 5分型を7回繰り返す。経過時間を教えてほしいよ。あー、やっと終わった。

 検査結果は良好、問題なし。事故前より頭がよくなっている期待も消えた。

 シャッカリッキ、シャッカリッキ、シャッカリッキ、帰った。

2002/12/16 私の足だ!

 ついに、左膝の抜糸が終わった。しばらく消毒の必要はあろうが、外科的治療からリハビリ中心の生活になる。

 最終確認のためレントゲンをとる。ギブスが全部外される。

 ひさしぶりに自分の足と対面したよ。動きがきごちない。どこに力を入れていいのか分からない。膝も足首も、他人の足という感じだ。

 さすがの楽観的な私も、リハビリの前途に不安を感じる。この他人の足、大丈夫か?

 四〇数年かかって培った家風というものがあるからね。一見さんには辛かろう。

 いやいや、これでは痛い目をして獲得した休暇が泣く。

 積極的に!よし、手術跡もじっくり見てみる。左膝の下、斜めに15cmほど切られている。見事なメス使い。合格だ。

 今日まで弱気に「お医者様にお任せ」状態だったが、ここからは、結果も含めて自分の問題として立ち向かおう。他人の顔をしているが、自分の足なのだ。

2002/12/15 Armstrong 2!

 この10年ほど、ゆっくり趣味の読書をする間がなかった。

 いつの日か、禁錮刑に処せられるか、楽な病気で入院したら、これを持ち込もうと決めていた本がある。文庫本で全10巻、20年来の愛読書だ。何度読み返しても新しい驚きがある。あっ、誤植、校正ミスも発見。うれしい。

 それ以外にも差し入れの本が何冊か。

 妻が持ってきたのは、ランス・アームストロング『ただマイヨジョーヌのためだけでなく』。ガンを克服した後、世界最高の自転車レース、ツール・ド・フランス4連覇中のランスだ。

 2度目だが、病床で読むと感動が違う。がん告知を受けた時のショック、まず仕事を心配し、次に生命の危機に気づくリアルさ、より良い治療法・病院を求める辛い旅、過酷な化学療法、不安定な心理状態。

 前回とは違うところで泣けた。

 治療は大きなリスクを背負った悪条件の中での戦いなんだ。負ける確率も高い。精神的にうちのめされるのは当然だ。それでも、戦うことに意味がある。

 さっそく、ランスのポスターを病室に貼った。トレックに乗って急坂を登っている。青いユニフォームのそでに付いている虹色のラインは、世界チャンピオンの証だ。後ろからはオフィシャルカー、赤いアルファロメオが追走している。
 
 痛いとき、眠れないとき、ポスターを見る。歯を食いしばったランスに勇気づけられる。

 ポスターを見た看護士さんは、「競輪のファンなの?」と聞く。

 そう、人生は、ばくちなんだ!

2002/12/14 Armstrong!

 やっと車椅子になれた。村中医療器具社製「PLUM」、年式不明。

 主たる行き先はトイレだ。

 入院病棟では自分ひとりでトイレへ行けるかどうかが重要で、元気なところを見せたい患者は、とにかくがんばるのだ。

 さあ、トイレへ行こう。
 
 丈夫な右足を地面につきスリッパを履く。右手で左足のギブス、ふくらはぎ部分を持つ。身体を回しながら立ちあがり、左手で車椅子の左の手すりをつかむ。
 
 昔流行した「ツイスト」ゲームを思い出して欲しい。

 そろそろと指令船を離れ、月着陸船へ乗り込む。

 左足を車椅子の台に乗せかけ、両手で突っ張って椅子深く座る。かかとで右足の置き台をセットする。洗面具が入った一澤帆布のバックをつかむ。

 車椅子は、後ろ向きでスタートする。病室のドアが閉まっている場合、後ろ手じゃないと開かないからだ。教習所の車庫入れの要領で進む。ラッキー、ドアは開いている。さあ、廊下に出た、左手に力を入れて車椅子を振る。

 前方、隕石!じゃない、松葉杖青年が飛んでくる。それだけ元気なら退院してもいいよ。
 
 着陸予定地点「静かの海」は、わずか10メートル先。でも、宇宙空間には10メートルも無限大もないのだ。トイレのドアに近づきすぎると、伸ばしたままの左足がぶつかる。離れすぎるとドアが開かない。

 ひょっこりひょうたん島の博士君のように、数センチの誤差が課題だ。

 ドアの取っ手をつかみ、スライドさせる。このときブレーキがかかっていないと、途中でドアに押し戻されて危険だ。無事ドアが開く。

 身障者用トイレが広いのは、中で車椅子を回転させる必要があるからだ。右足の悪い人と左足の人では進入角度が異なる。

 着陸船全体が月の引力圏内に入った。さあ、あと少しだ。ゆっくり降下させる。

 あぶない!洗面台のパイプにあたる。左ブレーキをかけつつ、右手で船体を左に振る。くるっと回転する。今度は振りすぎ、ウォシュレットのスイッチに足台がぶつかる。やっと月面着陸。

 ゆっくり右足を地面につける。

 ここでは当然、アポロ11号、アームストロング船長のせりふが求められる。

 「1人にとっては小さな1歩だが、人類にとっては偉大な・・・・」  

 

2002/12/13 食う 

 腰を痛めた少年がいた。

 普通に動き回っているのだが、診断としては入院ということらしい。一見元気に見えてしまうので、かえって辛そうだ。

 懲役が行き届いているところへ火付けも上手で、じゃない、教育が行き届いているところへしつけもできていて、病院内の人気者だ。皆に愛されて、育った者特有の空気を持っている。

 その少年、よく食べる。

 こちらは最初口が動かなかったから、1時間ちかく食事時間をとっていた。それが、数分でペロだ。

 そして、食事が終わると、甘いジュースを飲み、おもむろにカップめんを出す。

 少年、今食べたところだろ!

 カップめんは母親がひとつ持ってくる、これは昼食用。夕食時にもひとつ、これは友達からの差し入れ。日替わりで違う友人がくる。その連中が必ず、カップめんを持っている。ラーメンが多いのだけど、それを汁まできれいに飲む。

 「どうしてそんなに食べるの?」母親が聞く。
 「育ち盛りなんだ」
 
 「体に悪いから、汁飲むなよ」友達が止める。
 「ラーメンは汁が命だ」
 答えはいつも同じ。
 
 皆が相談したのだろう、ある日、差し入れはカップ焼きソバに変わった。

 その汁は飲めんな。

2002/12/12 入院患者の家族の権利

 術後の経過は良好、読書とパソコン遊び、気が向けば昼寝と、いたって気楽な有給休暇だ。

 ただ、入院が長期化すると患者の回復と反比例して家族の疲労がたまってくる。

 ご近所の奥様方が鋭く指摘されたように、平日は夜遅くまで帰らず、週末は野球やゴルフにお出かけといったタイプではないので、わが家にとって私の不在は痛い(はず)。

 幸い外科病棟は基本的に陽気なところで、少々子どもが走り回っても大丈夫だ。それでも、病院ロビーでキャンプファイアーをするわけにはいかんし、車椅子で鬼ごっこをするのも難しい。
 
 事故前、東京ディズニーランドに行きたいねえという話が出ていた。安いパックで、平日にね。今回の借りは大きい。ヘタをすると、世界1周ディズニーの旅になりかねん。

「積極的に育児参加しているパパ特約」付き保険がないかなあ。


 

2002/12/11 事情聴取

 西条署から刑事さんがくる。

 50歳前後、髪が薄くなりはじめていて、がっちりした体つき、朴訥としゃべるが、頑固そう。

 ジャン・レノとジーン・ハックマンを足して2で割った感じ。

 マルセイユのギャングが飛び込んできてマシンガンを乱射しはじめても、車椅子を楯にベレッタで応戦するというイメージ。

 膝に乗せたスーツケースを机代わりにして、ゆっくりゆっくり、事故調書を書いている。

 そういえば、中学校の社会科教師にも似ている。

 同じような年格好で、丸太のような腕をして、いつも編みシャツを着ていた。

 生徒に対しては丁寧な口調で、決して暴力をふるわない。若手の体育教師とは派手に戦っていた名うての不良グループも、なぜかその教師に逆らわなかった。

 恐れていたのではなく、敬意を表していたんだと思う。

 事情聴取の間、近所の不良中学生が暴れこんできても、安心だった。

2002/12/10 ひげ

 事故の日から、ひげを剃っていなかった。

 顔面傷だらけで剃れなかったのだが、事故をきっかけにイメージチェンジを図ることにした。退院し、職場に復帰したときには、ふちなしメガネでヒゲをはやした、細身の私がいる。

 事故の数日前に、NHK広島が近大工学部の学園祭風景を放映した。4人の教員スタッフがクイズに出るという趣向で、普段はまじめな先生方が見せる意外なタレント性に、広報委員として目を光らせたわけだ。

 中でも、家族に感銘を与えたのは、おひげの似合うある教授、「ひげの大学教員」を強烈に印象付けた。

 ひげ、がんばりましたよ。というか、ひげを剃らなかっただけだけど。
 
 10日後、白黒混じった無精ひげの小汚い男が鏡に映っていた。これでは「ビビビのねずみ男」だ。

 見舞い客が皆心配そうな顔をするわけもわかった。ちょっと、あぶない感じ。家人などは、ある有名な凶悪犯に似ているなどという。

 計画は中止した。

2002/12/9 音楽療法

 術後2晩目だ。

 おそろしい。痛みは昨日より少ないが、左足の腫れとしびれは続いている。

 昨日の失敗を考える。ちょうど眠っていたときに麻酔が切れたために、突然の痛みでパニックになり、有効な手を打てなかったのだ。

 とにかく気を紛らわせよう。

 そこで、パソコン収録の音楽を連続再生してみる。ソフトは、70年代ブリティッシュ・ロックと最近の金森幸介60曲パックがある。

 でも、どれもこれも「痛みのリズム」に合わない。ロックは速すぎ、ギター1本の金森さんは遅すぎ。

 やっと見つけた音楽療法曲は、なんと、吉田拓郎&ムッシュかまやつ「竜飛岬」! こんな曲、いつ21世紀のパソコンに紛れ込んだんだ?初めて聞いた。74年のシングル曲「シンシア」のB面のようだ。

 若い旅人が青函トンネルの工事が進む竜飛岬に立つ。荒れはじめた寒村を望んで、「竜飛岬よ、どてっぱらを、ぶち抜かれちゃったね」と歌うわけだ。
 
 竜飛岬に行ったことがある。9月だったが、すでに北風が厳しかった。トンネル完成後の竜飛岬は、誰にも忘れられた場所だった。

 夜があけるまで、100回以上聴いた。ギブスの先から出ている指でリズムをとる。しびれが治まる。右腰の痛みは「ないこと」にして、左膝の手術跡だけに神経を集中する。痛みが全身に分散される。成功だ。

 竜飛岬よ、うまくいったよ。

2002/12/8 心モニター停止

 午後10時半、麻酔が切れた。

 夜中まで持つという説明だったが、予定よりだいぶ早い。

 3ヶ所の痛みが襲いかかる。左膝、右腰、ギブス内で腫れあがった左足全体。これがリズミカルに痛ければ対応できるが、ものすごく適当で、強弱もてんでばらばら。

 左腕に点滴、胸に心電図、右腕には30分ごとに自動で動く血圧計、そして尿道カテーテル(裁判官発行の令状なし、本人同意なし)。まったく身動きできない。

 上の子のお産時に両親教室で呼吸法を学んだ私としては、「ひーひーふー」で陣痛を逃れようと試みる。

 でも、3ヶ所同時の痛み、三つ子の出産のようで、無理。

 だめだ、ついに左右の手すりをつかんで上半身を持ち上げる。少し楽になる。

 そこへ、血相を変えた看護士が飛び込んできた。

「だ、大丈夫ですか?」
「少し痛いだけです」(ここは男らしく!ジェンダー・バイアス大爆発)
「動いちゃだめでしょ。心停止の警報がなったんですよ!」(でかい声)
「はあ」(おねしょをした5歳児のように打ちひしがれる)
「痛み止めの座薬を入れましょう」(きっぱり)

 座薬でもオマルでもおむつでも、なんでも持ってきてくれ。

 ふと見ると、すでに紙パンツになっていた。

2002/12/7 かつおぶし

 「麻酔、効いてません」看護師の声。
 「モルヒネ!」医師が答える。
 
  急速に痛みが消える。おーー、すごい、噂どおりのすごい効き目。

 「ここは麻酔効いていなかったようです。この横までは効いているんですが。もう大丈夫でしょう」冷静な医師の声。ここで慌てられると、こちらが怖くなる。

 「はあ」
 「麻酔効いていますよ」
 「へい」
 「では、はじめましょう」

 高度な技量を持った2名が担当する手術は、一言でいうと「楽しい日曜大工」といったところ。

 左膝では、ギシギシガシガシ、骨を分解して、ボルトをねじ込んでいる。右腰では、トンカントンカン、骨片がノミで削られ、左膝に渡される。

 「どう、もう少し削ろうか?」右腰が聞く。
 「そうだね。少しもらおうか」左膝が答える。

 徐々に、かつおぶしのようになっていく患者であった。

2002/12/6 手術室にて

 型どおりに家族と加害者に見送られて3階の手術室に入る。

「事故後最大の山場」というキャプションが思い浮かぶ。

 手術室の中には、オルゴールのような音でサザンの曲が流されている。ここは、できればレッド・ツェッペリンにして欲しいが、患者の趣味には合わせられんか。

 体中にモニターがつけられ、いよいよ麻酔注射だ。

 脊髄注射なので、手術中一番の痛みらしい。でも、ここまで「痛みに強い、男らしい男(ジェンダー・バイアス爆発)」を演じていただけに、うー―んと我慢する。痛かった。

 麻酔は下半身だけ。医者は2人、左膝担当と右腰担当。

 しばらくすると、両足がしびれてきて、そのうち感覚がなくなった。おなかのあたりはいつもと同じ。すごいものだ、麻酔。

 胸のところに小さなカーテンが置かれていて、下半身は見えない。
 
 「それでは、はじめましょう」右腰担当者が静かに声をかける。

 冷たいメスが右腰にあたり、ぐさっ。

 「ぎゃーーーーーーーー!」

2002/12/5 自己決定権行使

 手術当日だ。

 スタッフが最終チェックに入る。

 左膝の陥没骨折部分をボルトで持ち上げ、隙間は骨盤から自己骨を移植する。セラミックスなどの人工骨も使えるが「あなたのように、これから50年も60年も生きる人には薦めません」とのこと。

 私の人生100年計画をご存知らしい。

「それでは、右と左、どちらにします?」
「なんのことですねん?」
「骨盤の右から移植するか、左から取るかです。いつも悩むんだなあ。どちらにします?」

 それは私が決めること? 

「どう違うんですか?」
「同じ側から取ると、術後の痛みが左足に集中して少し楽です。でも、あとのリハビリが苦しくなる。右の場合は逆です」
「それなら、右です」
「そうでしょう。私もそう思う」

 聞かんといてくれ。

 ナースステーションで左足の毛を剃られる。つるつる、こういう状態の自分の脚を見るのは30数年ぶりだ。左足だけツール・ド・フランスの選手風。

「はいできました。次は、移植する左の腰の部分を剃りますね」
「えっ、骨は右腰から取ると聞きましたが」
「なんで?」

 聞かんといてくれ。

2002/12/4 縁起物

 保険屋さんがやってくる。大手の保険会社、江戸時代から続く旧財閥系2社が呉越同舟で合併したもの。

 今回の事故、ややこしいのは、非常勤先への通勤途上だったこと。普通、会社員は職場公認でパートに出ないから、こういうケースは珍しかろう。

 さて、その保険屋さんがニコニコしながらやってきて、自転車の修理をはじめるという。

 年式不明のブリジストン・ロードマン、おそらく時価100円の「あびこ観音号」のことだ。事故後、自転車の安否は確認していない。
 
 通常は廃車にする程度らしい。でも、修理を依頼された自転車屋が、「これは大事に乗っていますね。愛着があるんでしょう」ということで3万5千円なりの見積もりが出ていた。保険屋さんも、老舗ののれんに賭けて誠意を見せている。

 信心深い我が家では、「あびこ観音」シールのご利益により、本来死亡事故がこの程度の骨折で済んだと語られている。さすがは大阪が誇る、厄除け観音。

 いわば奇跡の象徴、縁起物だから、修理してもらうことにする。

 そこへ妻がやってきて、数ヶ月前に注文した自転車、ルイガノLGS-CCTがついにショップに到着したという。ばんざい!台湾から長い道のりだった(道じゃなく航路か)。

 よし、退院したら、リハビリ名目で自転車通勤再開だ。皆、怒るだろうなあ。

2002/12/3 インフォームド・コンセント

 赤いホンダ・モビリオの荷室に乗って転院した。白い救急車じゃないところに、のんびりした空気を感じてほしい。

 24時間ぶりの冬空は、明るく感じられた。

 転院先の整形外科病院には、救急病院で撮影したCT,レントゲンのフィルムを持っていった。私の骨が写っているだから典型的な自己情報なんだけど(新語、自己骨情報)、まあ問題なく借り出せてうれしい。

 できれば記念に頂きたい気もする。なんといっても私の骨なんだし、見舞い客への説明も楽になる。

 「ほー――、これはすごい。見てごらん、ここまで撮影してる。完璧だ。」スタッフが画像を見ながら話し合っている。

 三次元コンピュータグラフィックスで膝の骨折部分が素人目にもはっきり分かる。骨折の具合、手術の方法、リハビリ期間、すべて最初の病院と同じ説明だ。

 どちらに「同意」するかは、趣味の問題だ。

 弊社保健管理センターと加害者の家族(医療系)「非公式」推薦のこの病院に賭けた。



2002/12/2 救急病院の一夜

 救急車のサイレンが聞こえる。左足が固定されて寝返りができない。腫れあがった顔が痛い。眠れない。

 隣の客、じゃない、患者も眠れないようだ。いや、ぐーぐーイビキをかくのだが、すぐに携帯が鳴って起こされているのだ。救急病棟にありがちなのだろうが、相手は複数で次々に電話がかかる。

「わかってくれ、大部屋なんじゃ、声が筒抜けで言えん」

「いえ、マネージャーには指示しています」

「頼む、カギは駅のロッカーに隠してくれ」

「タオルだけのために広島から来んでいい」

「犬が飛び出したんじゃ。よけれん」

「はい、金庫のカギは隠してあります。約束の場所です」

「仕方がないだろ。事故なんだから。切るぞ」

「はい、集金は済んでいます。赤い袋は車の中、助手席の下です」

「泣くなよ。どうしようもないだろ。あきらめろ」

「えっ?集金袋がない。そんなはずはないです。どうしたのかな」

「はい、明日には退院できそうです」

「真夜中に病院に入れるわけがないじゃろ」

 中々の人気者らしく、心配する人、脅す人、脅かされている人、頼む人、頼まれる人などから30分ごとの連絡だ。

 病院内は携帯禁止だろ、と思いながら、眠れない一夜、ノートパソコンに向かって原稿の校正を続けるのであった。

2002/12/1 記念撮影

 夕方、家族3人が見舞いに来る。

 口が動かないので流動食だ。上の子が、これは食えんといった顔で見ている。

 加害者の奔走で転院先のベッドが確保されたらしい。手術だけならどちらの病院でもいいが、長期のリハビリを考えて転院を決めた。とりあえず一安心ということで、ついに記念撮影が行われる。

 デジカメの画像を見ると、こりゃ、ひどい。あちらこちらに大きなばんそうこうが貼られていて、顔半分が腫れあがっている。下の子が怖がって近寄らないのも当然、誰だかわからない。

 自己イメージとしては、力石徹に破れた直後の矢吹丈だったのだが。

 後日その写真は、ご近所の奥様方に公開されたらしい。「まあ、怖い」とか言いながらも、結構喜んで見ておられたとのことである。

2002/11/30 7台目の男

 「あんた7台目や。隣の人は6台目。救急車、あと2,3台は来るな。今夜は忙しい」

 この人は医者でも看護士でもなく、向かいのベッドの入院患者で、ひまをもてあまして三〇分ごとにタバコを吸いに行っている。

 初診で見事に骨折を見落としたものの、その後は救急病院らしくテキパキと進み、再度CT,レントゲン撮影が行われる。行く先々で聞こえる「お気の毒」の掛け声も、なれてみれば気持ちがいい。

 とりあえず命を助けようとする救急病院は、やはり、なんとなく雑だ。

「この患者のCT,頭?足?どっち」
「ボードに書いてるでしょ」
「書いてないのよ」
 たのむ、書いておいてくれ。

ベッドの行き先がなく、廊下で血液を取られる。頭の上で話し声がする。
「ここでするの?」
「緊急だから仕方ない。今日中に手術でしょ?」
「えっ、聞いてないけど」
「あら?おかしわね。はははは」
 おかしくない。

 その頃、共通の目的のために団結した家人と加害者は、流行語「セカンド・オピニオン」を連発して、転院の準備を開始していた。

2002/11/29 鼻血の思い出

 事故現場から3分の病院まで救急車で運ばれ、治療室へ入る。

 若い医者が叫ぶ。
「駅で鼻血が止まらなくなったのは、この患者か?」
「いえ、その人は途中で救急車を降りたそうです」看護士が答える。

 このややこしい時に鼻血を出さないでくれ。

「それじゃあ、1,2,3で移そう。いいね。さあ、いくよ、1,2,3,はい!」

 4、5人の手で診療台に移動する。この辺はテレビの「ER」とまったく同じ。目をあければキャロル・ハサウェイがいそうだ。

 痛みは顔面から頭、左膝から下と答える。てきぱきと治療が進み、左目の下を縫う。ストレッチャーに移されて、CT、レントゲンとまわる。廊下を進むと「お気の毒に」の声がかかる。かなりお気の毒な様子らしい。

 エレベーターやレントゲン室の少しの段差が全身に響く。

 「CTもレントゲンも大丈夫のようですね。このまま家に帰れますよ。さあ靴をはいて」
 「1泊ぐらい入院したいのですが」
 「通院で十分です」

 死にそうなほど顔が痛いし、足が動かないんだ、と思いながら靴を履きストレッチャーから降りる。1歩踏み出そうとすると激痛が。

 「ぎゃ―――――!」

2002/11/28 事故の思い出

 非常勤先に向かうため西条駅へ。

 自転車に乗って45秒後、脇道から飛び出してきた車に飛ばされ、地面に転がった。鼻から血が噴出し、左半身も動かない。でも、意識はあるし、耳も聞こえている。とりあえず、生きている。

 加害者の女性ドライバーが飛び出してきて、手を握って泣いている。まだ死んでませんぜ。

 非常勤先と自宅への連絡を依頼し救急車を待つ。一番気になったのは、鼻血でハートマンのブリーフケースが汚れることだ。

 救急車と同時に下の子を抱いた家族も到着。加害者が、「こんなに小さい子どもがいるのに」と泣く。まだ死んでないって。

 生きていることを確認した家族が言う。「記念撮影していい?」

 拒否した。